叶え!あなたの夢―。 / 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第一話
※以下、アニメ『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』 第一話に関するオタクの戯言を多量に含みます。無理な方はブラウザBack to the TOKIMEKIを推奨します。
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2020年10月3日、待ちに待った アニメ『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第一話が放送となりました......
最高.....................。
でした................................。(いつもの)
いや~~~~~めっちゃくちゃ良かったですね!!!!!!!!!
ラブライブ!シリーズ アニメーションの歴史の新たな1ページを見た、といった感じです...本当に面白かった...。
またこの先3ヶ月の生きる希望が増えました。
さて第一話、マジでいくら語っても足りないほど語りたいことはあるのですが、それを全て語るとキリがなくなってしまうので、その中でも私が特に惹かれた、
『挿入歌 "Dream with You" のMVに描かれた、"二人の物語の始まり"』
についてのお話を、ここに少し書き留めておきたいと思います。
それぞれの夢
本題に入る前にまず、歩夢と侑、二人の関係性を少し整理してみます。
第一話で描かれた"歩夢と侑のそれぞれの夢"、それは「スクールアイドルになること」と「夢を追いかける人を応援すること」でした。侑の場合、正確に言うと「自分の夢」はまだ見つかっていませんが、「夢を追いかける人を応援すること」によって何かが見えるかもしれない、そんな期待を委ねた対象が、トキメキを感じた「スクールアイドル」となったわけですね。
劇中で描写されたとおり、「スクールアイドル」という軸自体は同じでも、二人は「立っている場所」が違います。"ステージの上"と"舞台袖、あるいは客席"です。
向いている方向は同じでも、歩んでいく高さが違う。一話のラストで、歩夢が階段を駆け上がって歌い始めたことも、その印象を強く表しています。
第一話では、そんな二人の「歩み出す道の分岐点」としての二日間が描かれたわけですが、中でもそれが色濃く表れているのが、挿入歌『Dream with You』のMVです。
今回はこのMVのシーンを時系列順にピックアップして、"Dream with Youで描かれたものとは何か"について、読み解いていこうと思います。
言葉よりも歌に乗せて
「私は、スクールアイドル やってみたい!」
階段を駆け上がった歩夢は、眼下の侑にそう宣言して歌い始めます。
そしてたちまち、どこからともなく花びらが舞い上がり、辺りは一瞬にして歩夢のライブステージへと変貌しました。
"第一話のラストで歌いだす"、これぞラブライブ!という感じの流れで大好きです...。
「言葉だけじゃ伝えきれないよ どうする?」
「(こんなとき) 歌うよ 歌うしかない!」
「ユメを語る言葉より ユメを語る歌にしよう」
ラブライブ!の世界において、"歌"は"言葉"よりも上位のものとして存在します。言葉で伝えきれない思いを"歌"に乗せる、といった感じです。
歩夢が"伝えきれない思い"を伝える手段として「歌」を選んだのも、実にラブライブ!的でいいですね。
「言葉じゃ足りないから 歌に乗せるんだ」
「あなたに届いてほしいよ Feeling my Heart」
塗り固めたキモチ
「ずっと隠してたの 心の奥」
「芽生えてた気持ちを 見ないふりして」
ここから、MVで描かれる場所が一旦ステージから離れ、舞台の裏側へと移っていきます。
この先重要になってくるのが、このMVが「不思議の国のアリス」をテーマにしているという点です。
『不思議の国のアリス』(ふしぎのくにのアリス、英: Alice's Adventures in Wonderland)は、イギリスの数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドドソンがルイス・キャロルの筆名で書いた児童小説。1865年刊行。
幼い少女アリスが白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどさまざまなキャラクターたちと出会いながらその世界を冒険するさまを描いている。
(引用のしかた合ってるのか分からん)
『不思議の国のアリス』。白うさぎに導かれて不思議の国を冒険することになった少女のお話。一話の冒頭で陳列されていたお財布や、衣装となった服が飾られていたショーケースなど、不思議の国のアリスに登場するモチーフが劇中では度々登場していました。
「ゆうぴょん」(あるいは内なる「あゆぴょん」)によってスクールアイドルの世界へ導かれた歩夢ちゃんには、ぴったりとも言えるテーマですね。
さて、章冒頭の歌詞のシーンに戻りましょう。
舞台裏を歩く制服の歩夢ちゃん。背景の洗濯機にはずっと隠してきた「歩夢ちゃんの"好き"」が閉じ込められています。
次のシーンでは、"まだ開花していない薔薇" の中に歩夢ちゃんが横たわっていますが、ここで注目したいのが、歩夢ちゃんの絶対領域 この「薔薇」です。
『不思議の国のアリス』には、こんな場面があります。
トランプカードの3 “枚”の庭係(庭師)たち、スペードの2と5と7は、庭園に赤い薔薇の花だけを咲かせるべきところを、間違って白い薔薇の花を咲かせてしまった。このような不手際を怖ろしいハートの女王に知られてしまったら、3枚とも首を刎ねられてしまうに決まっている。そういったわけで、失態を誤魔化そうと、女王がやってくる前に絵の具と刷毛で白い花を赤く塗り替えてしまおうとしていたが、いがみ合ってばかりで仕事がはかどらない。
『間違えて白い薔薇を咲かせてしまったトランプの庭師たちが、絵の具を使って白い薔薇を赤い薔薇に塗り替える』という場面があるんですね。
この曲が『不思議の国のアリス』モチーフであることを考えると、画像のシーンの薔薇は実は「赤色」ではなく「白色」の薔薇であることが予想できます。つまり、
この薔薇は歩夢ちゃんの"好き"の気持ちであり、偽りの色で塗り固められていたために、開花できずにいた。
このような解釈をすることができます。
つまり、この一連のシーンでは、これまでの「"好き"を抑圧していた歩夢ちゃん」の姿が描かれているんですね。
まさかこんな形で繋げてくるとは...と演出の巧みさに感動してしまいますが、
次がなかなかヤバいです。
繋いだ手
「好き」の気持ちを抑圧している姿が描かれた歩夢ちゃん。しかし、その様子が次のシーンから一気に変わり始めます。
「繋いだ手 その温もりが」
「胸いっぱいの勇気をくれたから」
はい、このシーンです。
歩夢ちゃんが「誰か」の手を放しています。
個人的にはこのシーンが、今回のMVにおける「肝」であると思います。
何故そう言えるのか。それは、このシーンが「歩夢と侑の分岐点」であるからです。
歩夢と侑。この物語で描かれる幼馴染の関係性として、私は少し前にこんなことを呟きました。
ニジガクアニメ、何が良いって「口元のクリームを取る」「自撮りの時に腕を組む」みたいな "普通のアニメなら(オタクこういうの好きだろ?みたいに)ズームとか使って強調されるような描写" をさらっと描いてるところ 「2人にとっちゃ自然なこと」感が出ててめちゃくちゃ好き
こういう「歩夢と侑の関係の近さ」を表す描写が "さりげなく" 散りばめられているのが第一話の魅力であり、演出の巧みなところだというのは感じた方も多いと思います。
ただそんな中で、逆に幼馴染の関係として「強調」されていた描写がありました。
それは、一体何だったのか。
そう、「手を繋ぐ」描写です。
幼馴染として色々な描写はあれど、手を繋ぐ描写だけは明らかに「二人の手」へとフォーカスしています。
これらのシーンから見るに、歩夢と侑の関係性として「手を繋ぐ」ことがひとつの大事な要素となっていることが読み取れます。「手を繋いで一緒の道を歩む」。二人にとっての"幼馴染"はずっとそういう関係性でした。
では、MVの「手を放す」描写は何を意味するのか。
冒頭でお話しした通り、スクールアイドルの道を選んだ歩夢と侑は 向いている方向は同じでも、歩んでいく高さが違います。片方は「夢を追いかける立場」として、もう片方は「夢を追いかける人を応援する立場」として。
二人はこの「互いの夢を叶え合う手段」として、スクールアイドルの道へと歩み出すことになりますが、この「互いの夢を成立させる」ためには、必然的に「同じ道」を歩むことはできなくなります。
スクールアイドルがスクールアイドルであるには応援者が必要で、応援者が応援者であるにはスクールアイドルが必要。そしてその二つの立場は、決して同じレイヤーに存在することができません。
だからこそ、ここで
「ずっと繋いできた手を放す」ことが必要となるんですね。
"幼馴染" から "互いの夢を叶え合う存在" へ。このシーンでは、そんな二人の関係性の転換が描かれています。
それを裏付けるかのように、続くシーンでは「夢への一歩」「Sweets Deco」「A・ZU・NA」といったスクールアイドルの衣装に身を包んだ歩夢が次々に映し出されます。
この「ずっと繋いできた手を放す」一連のシーンの歌詞が、
『繋いだ手 その温もりが 胸いっぱいの勇気をくれたから』
というのも、なかなかニクいポイントですね。
お揃いのパスケース
「今はまだ、勇気も自信も全然だから これが精一杯。」
「私の夢を、一緒に見てくれますか?」
そう言って、歌い終わった歩夢はお揃いのパスケースを侑に渡します。
冒頭で侑に「いまいちトキメキが足りないね」と言われたパスケース。スクールアイドルとして駆け出した歩夢が、それを渡す。パスケースに込められた歩夢の想いが垣間見えます。
「もちろん。」
「いつだって私は、歩夢の隣にいるよ。」
侑は、そのパスケースを歩夢の手ごと、両手で包み込んで受け取ります。
"幼馴染として" 歩夢の想いを受け取ったのでしょうか。その胸中は侑のみぞ知る、ですね。
おわりに
今回は、挿入歌『Dream with You』のMV(というよりMVパート以降)にフォーカスして、そこに描かれた「二人の物語の始まり」について紐解いてみました。
いや~~~~~~~~~~泣く........。
このMV、意味があまりにもデカすぎました。泣く。
アニヶ咲、演出とか小ネタがすごく細かいので、見るたびに新しい発見があって楽しいですね。
それと語れることが多すぎる。挿入歌のMVだけに絞ってもこれだけ語る要素が出てくるなんて...と自分でも少しびっくりしています...。
個人的に、アニヶ咲のいいな~と思うところは、「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の歩んできた3年間が、アニメの中に散りばめられている」ところですね。
サスケ然り、MVに出てきた歩夢の衣装然り、"これまで虹ヶ咲が歩んできた歴史があったからこそ生まれたもの" がアニメの中に多々登場していて、制作陣の愛を感じます。(愛だけに)
第一話、個人的に期待値を遥かに超える素晴らしいものでした。
来週はなんと推しの回(明日じゃん)。どんなお話になるのかとっても楽しみです。
ココロノ_コンバータ / 天王寺璃奈のお話
※以下、天王寺璃奈ちゃんに関するオタクの戯言を多量に含みます。無理な方はブラウザBack to the TOKIMEKIを推奨します。
※なんか小難しい話を含みます。途中で寝ちゃってもいいですが最後まで読んでもらえると私が喜びます。
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「どんな私だって、見てくれる、認めてくれる人がいる・・・。」
「こういう風に思えるようになったのも、璃奈ちゃんボードがあったから・・・。私の感情を表現する大切なものだけど、私がありのままの素顔を出せるようになるきっかけをくれたのは璃奈ちゃんボードなんだ・・・。」
これは、虹ヶ咲2nd Liveのパンフレット、天王寺璃奈ちゃんのページに綴られている一節です。
天王寺璃奈。表情を作るのが苦手で、愛さん考案の「璃奈ちゃんボード」を使って感情表現をする、異常な技術力を持った可愛い女の子です。
今回はそんな天王寺璃奈ちゃんについての、オタクの戯言をつらつらと綴っていこうかなと思います。
(今回は少し難しいお話も含むので、頑張って途中で寝ないように読んでください。)
アナログ_ト_デジタル
突然ですが、「アナログ」と「デジタル」の違いって何でしょうか?
「アナログイラスト」「デジタル時計」など言葉を聞いたことはあれど、厳密な定義を知っているのは、その道を学んだことのある方くらいだと思います。
また、「その考え方はアナログだよ」とか「デジタル化」なんて言葉もあるように、なんとなくアナログよりもデジタルの方がハイテク、みたいなイメージがありますね。
そう考えると、ニジガクの3rdアルバムに収録されている天王寺璃奈ちゃんのソロ曲の曲名は『アナログハート』。情報科で、どちらかと言えばデジタルバリバリなイメージの璃奈ちゃんがここにきて何故「アナログ」をテーマにした歌を歌うのか。少し気になってくると思います。
実はこの「アナログ」と「デジタル」の違いこそが、天王寺璃奈ちゃんを語るうえでの重要な要素となります。
今回はここを切り口に、『天王寺璃奈』というキャラクターを読み解いてみましょう。
レンゾク_ト_リサン
アナログとデジタルの違い、それはズバリ
"連続的であるか、離散的であるか"
です。
......なんか小難しいですね。
簡単に言ってしまうと、「ひと続きなのがアナログ、ぶつ切りなのがデジタル」です。ますます何言ってんだコイツになりましたね。
文章では説明が難しいので、この先は少し図を挟みながら説明してみようと思います。
ここから少し専門的な話になりますが、情報通信の世界には「サンプリング」という用語があります。
サンプリングとは、「連続的な信号を離散的な値に変換する」ことを言います。またなんか難しいですが、要は「この信号(送るべき情報)はこの時にこれくらいのデカさ!」ってのをざっくりした数値にすることです。
以下の図を見てください。
はい。壊滅的にチープな図が出てきましたね。クリスタで頑張って描きました。
図の縦軸は「信号の大きさ(強さ)」、横軸は「時間」を示します。信号とは通常、時間によって値が変化するものなので、上の図では時間変化するひと続きの波として描かれています。この波が「アナログ信号」と呼ばれるものです。
身近にあるものだと、空気中を伝わっている「音」。これもアナログ信号の一種です。また、携帯やテレビなどの電波はこの"アナログ信号"の形で空気中を伝搬しています。
では次に、このアナログ信号を「サンプリング」してみます。次の図を見てください。
こんな感じ。
ここでは、先ほどのアナログ信号の「ある時間ごとの値」を取り出しています。この操作が「サンプリング」です。時間ごとのサンプルを取るから、サンプリング。そのまんまですね。
そして、このサンプリングで取り出した値を信号として表すと・・・
上の図の赤線のとおり、カクカクの信号となります。この「サンプリング」で取り出した数値で表されるカクカクの信号が「デジタル信号」となります。
この「デジタル信号」は"数値"として非常に扱いやすく、コンピュータはこの仕組みを利用して情報伝達や情報の保存を行っています。
「アナログ信号」を、「サンプリング」を通して「デジタル信号」に変換する。以上が"アナログ信号"と"デジタル信号"の関係性であり、「アナログ(連続)」と「デジタル(離散)」の違いとなります。(かなりざっくりした説明です)
ここまでお読みいただけた方には、章冒頭の「ひと続きなのがアナログ、ぶつ切りなのがデジタル」という表現の意味が、なんとな~く理解できたかと思います。
これらの一連の仕組みを「アナログ/デジタル変換」(A/D変換)と言い、身の回りではこの仕組みが多く使われています。
例えば、マイク。
マイクではこの仕組みを使って、音を電気信号に変換しています。
また、このA/D変換を行う回路の事を「コンバータ」と呼んだりもします。
普通に通信技術の勉強になってしまった
ここでひとつ、頭の片隅に置いていただきたいことがあります。それは、「A/D変換では、変換時に失われる情報がある」という点です。
サンプリングの図を見ると分かるとおり、変換時には、「ざっくりとした値」を取るので、左から2番目の「3」や4番目の「2」の値のように、その値としての目盛りが存在しないものは「それに近い値」として処理されてしまいます。そして、その分の「誤差」として切り捨てられた情報は失われてしまうんですね。
よくある「生で聴いた音と録音した音が若干違う」って現象は、この辺の要因が絡んでいたりもします。
「・・・で、この小難しい話がなんで璃奈ちゃんと関係あるの?」
という声が聞こえてきそうなので、そろそろ本題である璃奈ちゃんのお話に入ろうと思います。
カンジョウ_ノ_サンプリング
天王寺璃奈ちゃん。
彼女の最大の特徴といえば、様々な表情が描かれた「璃奈ちゃんボード」によるコミュニケーションですね。
家庭の事情で両親が家を空けることが多かった璃奈ちゃん。その影響で、感情を表に出すことが苦手になってしまっていました。
そんな璃奈ちゃんの感情表現を手助けするべく、愛さんが考案した「璃奈ちゃんボード」。スケッチブックにそれぞれの感情に対応した「カオ」を描いて、その時の気持ちごとに切り替える、という形で感情を表します。スクスタのキズナエピソードでは、この璃奈ちゃんボードを巡る璃奈ちゃんの葛藤が描かれる場面もありました。
この「璃奈ちゃんボード」の役割について、もう少し掘り下げてみましょう。
人間が感情を表現するには「言葉」や「ジェスチャー」など多くの手段が存在しますが、やはり最も直感的なものといえば「表情」でしょう。「表に出る情」ですね。
人は感情という情報をまず初めに「表情」として出力しようとします。そしてその「表情」というものは、往々にして非常に多くの形をとるものです。
基本的な感情としてあげられる「喜怒哀楽」。そのほかにも、「苦笑い」「怒り泣き」「寂しげな笑み」など、複雑に感情が入り混じった時ほど、その心の内はまず直感的な「表情」として出力されます。
そう、この"表情の変化"は前項の定義に当てはめると、連続量。「アナログ」です。
「感情」という信号を、そのままアナログ的に出力するためのモジュールが「表情」なのです。
では、天王寺璃奈ちゃんはどうでしょう。
璃奈ちゃんは、この「感情を出力するモジュール」である表情が上手く働かなくなってしまいました。"錆びついてしまった"とも言えるかもしれません。
そんな璃奈ちゃんは、「璃奈ちゃんボード」という発明品によって、自分の感情を「カオ」として出力できるようになりました。
この「璃奈ちゃんボード」、あらかじめ設定された表情に切り替えることで感情を出力しています。そのため、前述のような「複雑に入り混じった感情」が表れたとき、その感情に対応した表情がなければ、的確な出力ができません。その感情により近い「カオ」を出すという手もありますが、その「カオ」に含まれていない感情は誤差として切り捨てられてしまいます。
「誤差」として切り捨てられる。どこかで聞きましたね。
お察しの通り、"璃奈ちゃんボード"は離散量、「デジタル」です。
璃奈ちゃんの「アナログ」な感情を「サンプリング」し、「デジタル」な形で出力する。
璃奈ちゃんボードにはそんな役割がありました。言うなれば、璃奈ちゃんボードが璃奈ちゃんの「心のコンバータ」として機能していたわけですね。
天王寺璃奈ちゃんが、この「璃奈ちゃんボード」というデジタル出力モジュールを通して少しずつ感情を表現できるようになる過程は、これまでのキズナエピソード等でも描かれていました。
ただ知っての通り、A/D変換を行っている限り、誤差として失われてしまう情報(感情)は必ず存在します。「人との繋がり」に重きを置く璃奈ちゃんにとって、自分の感情を的確に相手に伝えられないことほど心苦しいことはないでしょう。
そこで、璃奈ちゃんはどうしたのか。
その答えは、3rdアルバムの中にありました。
アナログハート
『アナログハート』。
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会3rdアルバム収録の、璃奈ちゃんのソロ曲です。
以前の記事で、3rdアルバムではメンバーの「成長」が描かれているとお話しました。それは璃奈ちゃんも例外ではありません。
璃奈ちゃんボードを通して、少しずつ感情を表現できるようになった璃奈ちゃん。そして、ボードの有無にかかわらず、自分のことを自分として見てくれる、認めてくれる人がいるという事を、スクールアイドル活動を通して知りました。
そんな成長を踏まえて、璃奈ちゃんが歩み出すと決めた次のステップ。それは「自分の感情を全てありのままに表現すること」。つまり「感情のアナログ出力」です。
ボードの有無にかかわらず、自分のことを認めてくれる人がいるのなら、自分も、少しも切り捨てられていない「アナログ」な想いで応えたい。これこそが『アナログハート』という曲名に込められた璃奈ちゃんの思いなのではないでしょうか。
ここにきて、なぜ璃奈ちゃんが「アナログ」をテーマにした曲を歌ったのか。この冒頭の問いに答えるとするならば、「否。今までの成長があったからこそ、アナログをテーマにした曲を歌うことができた」なのではないかな、と私は思います。
そして、アナログな感情を伝えるためには、「素顔」というアナログ出力モジュールを動かさなければなりません。
虹ヶ咲2nd Liveで披露された『アナログハート』の映像で璃奈ちゃんがボードを着けていなかったのも、そういう理由なのかもしれませんね。
オワリニ
さて、今回は少し専門的なお話も交えつつ、天王寺璃奈ちゃんというキャラクターについての掘り下げを行ってみました。
アニメ放送前に仕上げておきたかったネタだったので、無事書き終えられてよかったです。
あと、眠くならずにここまでお読みいただいた方、すごいです。私なら途中で寝てます。
根気よく読んでいただきありがとうございます。
今回お話しした "「アナログ」と「デジタル」" という観点を持って、璃奈ちゃんのストーリーや曲などにもう一度触れてみるのもまた面白いかと思いますので、是非。
明日(もう今日じゃん!!!)からはニジガクアニメも始まるので、またこのブログでも色々綴れたらな~なんて思います。
それでは、今回も長々とオタクの戯言にお付き合いいただき、ありがとうございました。